Aoyama Style

インタビュー

藤井フミヤ インタビュー

個性派俳優として、多くのスクリーンで圧倒的な存在感を放ってきた桃井かおりさん。
今年は国内外の映画出演に加え、初の長篇監督作「無花果の顔」を発表し、クリエイターとしての円熟した才能を存分に発揮している。
肉体的にも精神的にもエイジレス。キャリアに甘んじることなく、我が身ひとつで海外の映画界に斬り込む、サムライウーマンである。

LOVEと友情を育んだキャンパス

 私たち世代は、「青山でファッションがはじまったって感じの70年代に、ちょうど青春を迎えてるじゃない。私は、賀恵ちゃん(稲葉賀恵)が好きでよく通ってた。何もなかった青山に『ビギ』や『Y'z』『コム デ ギャルソン』『イッセイ ミヤケ』とかが集まって一斉にブランドを立ち上げた時だったのよね。
 青山が始まったともいえる『VAN』が始まった頃も忘れられない。男の子とデートすると皆、VANのジャケットにボタンダウンのシャツ着てたね。VANを着てる、清々しい感じの男の子が好きだったのよ、若い時は。高校生の終わりぐらいに俳優になってからは、ちょっとグレてるグランジな奴が好きになっちゃったんだけど。ひねって、ひねりまくってるのばっかになっちゃって(笑)。
 私も背伸びして、カルティエつけてケリーバッグ持って、ピンヒール履いてた。高校を卒業したらロングタイトのスカートとかね。男の子っぽい『Y'z』のスーツもよく着てたな。

春には自然の空気を感じる場所へ

 メイクさんもヘアサロンもみんな青山にあったし、スタイリストさん達と服屋に行って、「似合う、似合わない」ってやって、ご飯食べて、『Bar Radio』で飲んでって感じだったよね。
 青山に小さいレストランが出来はじめた頃だったから、新しい店は嬉しくって全部入って。青学の横にあった『台所』とか、『KIHACHI』とか『SERAN』もよく行ってたし、「その手のものならココよ」って言えるぐらい知ってたよね。でも、今はお店が多すぎて、他の街にも選択肢が多くなったから、行きつけの店もなくなってきてる。
 私、青山の立ち上がりに立ち合っちゃっているからさ。当時は「参加してる」って感じだったけど、今は「もう大丈夫よね、私がいなくっても」って感じに街がなっているんだな。
 今は『クロムハーツ』に来るぐらい。ごく最近では、映画の銃のアクションの稽古で『ワタリウム美術館』の先まで、銃をカラコロカラコロ、重いの引いて通っていた。一人で疲れちゃってても、銃を持っているから警戒の強いビルには入れないわけ。だから、青山通り辺りにあるBARに入って一杯飲んで帰ってたの。それ半年やってましたね。

撮影協力:「CITABRIA

部活に打ち込んだ青春時代

「何かが変わる時」って気がつくよね。なんとなく風の吹く方向が変わるような感じ。私、「空気が読める」っていう感覚はあるの。青山に友達の服屋が移っていくなと思っていると、あっという間に「服を買う場所」になったり。そんな街が、急激に変わっていった時期を経験してるから、同じように今、世界の映画界が確実に変わる時期という感じはしているんだよね。
 監督した映画『無花果の顔』が17カ国の映画祭に招待されて、各国をまわっていく中で思ったんだけど、ハリウッド映画だけじゃなくて、北アフリカやインドやイギリスの映画もあるし、インディーズの映画が当たり前にメジャーになっている。大きなプロダクションの映画もなかった。
 俳優としては、今年、4本の映画に出演するんだけど、全部に英語が関係しているのよ。『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』は日本映画だけど台詞が全部英語で、タランティーノさんも出演しているし、次の上海で撮影する映画は、中国人のプロデューサーと監督だけど、日本人が出演してる。その次のハンズ・カノーザ監督のタンゴ映画は、出演者が全員日本人で台詞も日本語なのよ。
 仕事の感じが、私がロスに行きはじめたからじゃなくて、ちょうどタイミング的に、どの国の映画っていうことでもなくなっていく時期だなって気がすごくしているのね。その変わろうとしている時期に、私は少なくとも遅れはとらずに踏み込んでいるなとは感じている。

結婚で変わったのは家族との関係

 映画『太陽』もそうだけど、私は海外でもずっとインディーズ。でも、たまたま『SAYURI』がハリウッド映画で、オーデションに受かっちゃったから行ったじゃない? 半年帰れない契約だったんだけど、最初はシステム、やり方が違うからパニックよ。私、これから行く役者に皆教えてあげたいよ。
 まず、マネージャーがいない。エージェントは仕事をとってくれるだけ。仕事をするのに必要なのはそのエージェントとスタジオと契約する時に立ち合う弁護士、「ザグ」という俳優協会に所属していることの3つ。撮影中は電話があって2時間以内に入れる場所にいなくちゃいけないとか、セリフは毎日変わるから台本はバインターに挟んで管理しなきゃいけないとか、張り出されたスケジュールを自分でチェックして、メイクに行くとか知る、朝スタジオに入った時にはサインをしなければ日当が払われない(笑)とか・・・。大きなスタジオに6カ月、メイクさんたちに教えてもらって完全に向こうのシステムを把握しちゃったからね。

移り変わる東京を見て来た24年

 私、バレエ留学で寮生活をしていた時に外人が嫌いになっちゃった経験があるのね。だから『SAYURI』の撮影中、この生活を楽しまないと、また嫌な思い出になっちゃうなと思って、アパートを借りたの。最初はサンタモニカに借りたんだけど、下の彫刻家のおじさんがイイ男でね〜。残念ながらゲイだったんだけど(笑)。宅配便を受け取ってもらうために隣に住んでいる子と友達になったり、犬の散歩をすることで友達になったり、その友達とランチを食べたり、下水が詰まったとはいい、お風呂が漏れたとはいい、イエローぺージで探すことを覚えたり。スタジオのシステムを覚えようとして生活のほうまで覚えたって感じで。やっと今生活と言葉もだいぶ馴染んできたしね。
 ロスに部屋もって3年目。新しい生活が軌道にのっていて、ヨガの教室やタンゴのレッスン場に通ったり、ロスの「大人計画」みたいな小さな劇団に入ろうと仲間になっているところなので離れたくないんですよね。

春には自然の空気を感じる場所へ

 私、よくこんなに媚びないでいられたなとは思ってる。プロデューサーとも寝ないでよくやってこれたなと思っているわけ(笑)。マネージャーもいなくてこんなに長い時間…。
 でも、東京にいると、私、これ以上、図にのれないぐらいのってるじゃん? ちょっと大人になって余力があって、そこそこ才能もあるからさ、やれちゃったりするじゃない。それを止めないといけないと思ってるの。
 ストイックに俳優をやる時間もそんなに長いわけじゃないから、俳優の時間を大事にしたほうがいいなと思ってロスに行くようにしてるの。ロスにいると、ものすごく仕事のない惨めな俳優生活が待っている。オーデション受けて、傷ついたり、喜んだりしている自分がすごくいい感じなのよね。だから、住まいもいいところじゃなく、あえて「トキワ荘」みたいな環境で生きてるし、仕事場へもバスで通ったりしてる。
 なんか、東京に住み過ぎちゃって、荷物が増えちゃったって感じなんだ。だから少し整理しないと。ロスに行くとほんとトランク一個だから。人生まるごとトランク一個。ちょうどいい時期だと思う。50歳も半ばになって、今、そこに立てることはちょっと幸せなことだと思って。70歳ぐらいまで、そんなことやっていれば本当の英語になるだろうし、80歳ぐらいには恐いもの減るだろうから、もう少し穏やかな人間になれるんじゃないかな。
LOVEと友情を育んだキャンパス

 俳優をいつまで続けるかって? 俳優って、死んだら死体の役があると思っちゃうの。100歳過ぎたら、私、おじいさんの役だってやれると思うのね。性別もわからなくなっちゃうと思うから、「男優賞とってたらごめんなさい」ってぐらいのもんじゃない(笑)。今なんて白人役のオーデション受けて「白人じゃなくてもやれます」って言っちゃうからね、かおり。
 どういう俳優であるかを自分で追い詰めて、怠けないようにさせとかないと、世界中にきれいで英語が話せるアジア人の俳優なんていっぱいいて、みんな頑張っているんだから。ちゃんと芝居で見てもらえる俳優にランクインしないとね。
 海外の映画に日本人が出ることは、ほんと簡単になるんだと思うんだ。今、仕事をするのは私たち世代だから、やれたのにやらなかった先輩にならないように頑張らないとね。

プロフィール

東京都世田谷区出身。1971年映画デビュー。以降、映画・テレビ・舞台・CMと活躍し、数々の女優賞を受賞。代表作多数。俳優の他にもプロデューサー、監督、歌手、エッセイスト、ジュエリーデザイン、商品プロデュース、雑誌編集を行うなど多才。2004年ハリウッド大作「SAYURI」、ロシア映画「太陽」に出演し、海外でも高い評価を得る。初の長篇監督作品「無花果の顔」がベルリン国際映画祭でNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞するなど、17カ国の映画祭から招待されている。
公式HP http://www.kaorimomoi.jp

プロフィール

映画「無花果の顔」DVDが発売。 三池崇史監督作品「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」が公開中。

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