Aoyama Style

コラム

浅葉克己の一日一圖 12

 雪がハラハラと降り続いている。
 雪化粧の会津鶴ヶ城は、悲しいまでの美しい姿で僕の目の前に迫っている。138年前に官軍の総攻撃で大砲の穴だらけになり、白旗をかかげて、開城した。その少し前に飯盛山では、白虎隊19名が自刃した。
 「白虎隊は、主君のために命を捨てる覚悟を決め、勇気凛々威風堂々鶴ヶ城を後にした」
 そして36時間後に、15歳。16歳。17歳。少年達は最期を向えた。
 僕は今回で三度、白虎隊の墓に参拝したことになる。なぜか会津白虎隊に魅せられている。歴史を認識する意味を強く感じているからだろうか。さざえ堂の階段を登り、頂上に達すると反対側をスルスルと降りて来るという不思議な空間体験と共に…。
 エンジン01文化戦略会議のオープンカレッジin会津のテーマは「クローズ ユア 会津。」時々目をつぶって歴史を想い、オープン ユア 会津で、21世紀、日本人はどお生きるか、が僕の頭の中を駆けめぐっていた。
 高野山→佐賀豊橋会津と続く大イベントだ。2月10日(金)、11日(土)、12日(日)の3日間、福島県の会津若松の會津風雅堂と会津大学で開催された。
 会の成功は大会委員長のガンバリに左右される。大会委員長は、いわき市生まれの、ぴあ社長矢内廣さん。郷里のために頭から湯氣を出して張り切ってくれた。企画委員長に秋元康さんを指名。2月11日の会津大会では、なんと40もの教室で、シンポジウムのひとつひとつがTVの番組になるように企画された。メディアとしては、福島民友新聞社が全面的に協力してくれた。福島テレビにCFも流した。
 去る1月8日、エンジン01の幹事、三枝成彰、眞木準、浅葉克己は、六本木男声合唱団倶楽部で、ハワイ・ホノルルシンフォニーの定期公演に出演していた。大友直人さんの指揮で盛田昭夫さんのカンタータ「天涯。」全8曲を唄い、日米交流パーティも終え、特別室で今日の演奏会のビデオを観ていたら、東京の矢内廣さんから、ひとりひとりに長い電話が入った。今日と明日の2日間、福島民友新聞にイベントの全日程と時間割が全頁で掲載され入場料500円の売り出しが始まるので次のポスターを考えてほしいと注文が来た。
 時間がないぞと思った。
 ホノルルプリンスホテルの前はヨットハーバーになっている。海を見ていた。目をつぶった女性の顔は美しいと常々思っていた。「クローズ ユア 会津。」の次のポスターは、目をつぶった女性の顔にしようと思った。事務局の西山明子さんは元モデルだ。プロカメラマンの初沢亜利も合唱団に参加している。明日の朝帰る時に空港で撮影だ。西山明子さんにモデルになってとスケッチを渡したらO
Kしてくれた。初沢亜利をOUTBACKのステーキ屋に誘って「目をつぶる女」の撮影を頼んだ。右頁のポスターは顔のアップだが、ハワイロケなのだ。
 僕は最初「なぜ女が好きなのか?」の教室に出演する筈だったが秋元康さんから福原愛ちゃんを呼んで卓球大会を開けと指令が来た。
 眞木準さんがすぐに、やる気の出るネーミングを考えてくれた。第一回浅葉杯 会津白球隊選手権大会。会津白虎隊会津白球隊。
 2月11日、朝10時に、頭に会津白球隊と入った鉢巻を、きりりと結んだ総勢81名の選手が整列。地球リレーマッチ3人組の団結戦が始まった。

Profile

浅葉克己
横浜出身。桑沢デザイン研究所、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所にて 文字設計を修業後、ライトパブリシティに入社。1975年、浅葉克 己デザイン室を設立。中国の少数民族ナシ族に伝わる象形文字・トンパ 文字への造詣が深く、トンパ文字掛軸で02年東京ADCグラ ンプリ。同年、紫綬褒章を受章。青山芸術祭第3回DESIGN AWARD審査委員長。

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