Aoyama Style

コラム

浅葉克己の一日一圖 11

 いくつになっても世の中には驚くことが、目白押しだ。
 今年の7月に茨城県を代表するグラフィックデザイナーの藤代範雄さんから突然大声で電話がかかって来た。最高級ブランドの稲田みかげ石で彫刻を創ってほしいというのだ。今週中にはラフ・スケッチを送ってほしいと言い出した。よく聞いてみると日本のグラフィックデザイナー34名に同じような注文を出していた。
 紙から石へ。石の彫刻といえば、県立神奈川工業高校図案科の美術部の友人とモダンアート展をめざし、大谷石で抽象彫刻を出品したことを思い出す。授業が終わる夕方からノミでトントン。水でゴシゴシ。歯が立たない石への挑戦だった。高校生にしては立派な立体作品が完成した。その年のモダンアート展に入選したのを憶えているが、どうやって上野の森まで重い石を運んだのか憶えていない。17才の夏のことだ。ぼくはあの時も美術部と卓球部に在籍していた。
 卓球選手にとって卓球台の置いてある空間は聖域である。中国をまわっていると、北京小学校の校庭のポプラ並木の下に10台程コンクリート製の卓球台が並んでいて、そこで卓球大会を開くのだと言う。フランスの有名なデザイナーを訪問した時もマンションの裏庭に卓球台が置いてあった。エジプトのルクソール宮殿の近くの高級ホテルのプールサイドにも卓球台が置いてあり、一緒に撮影に行った坂田栄一郎さんと午前中卓球をして楽しんだ。あの時は坂田さんが1つしか持っていなかった球を踏んでしまい、お湯をもらってふくらませたがダメだった。球はやはり2つ持っていなければ…。(笑)
 卓球の英国名はテーブル・テニス。
 机、テーブルも人類にとって、一つの聖域だ。小学生の机。昔は家庭の中央に置かれていた卓袱台。仕事机。神社に置かれた白木机。ヨーロッパの貴族の猫足の机。
 僕は、いままでに二台の卓球台をデザインしている。一台は第41回世界卓球選手権千葉大会が開催される一年前に卓球ディナーショウ「ザ・卓球」を開いた時だ。総合プロデューサーを引き受けた。世界チャンピオンのスウェーデンのワルドナー選手と88年ソウルオリンピックの初めての五輪チャンピオン韓国の劉南奎に戦ってもらった。インテリアデザイナーの巨匠内田繁さんに卓球台の設計をお願いした。最初のアイデアは、足がじゃまだから下から空気で浮かせようとしたが、選手が台に接触したら大変なことになる。むしろ足に存在感を持たせて、三角形の目立つ台にした。92年には「ザ・卓球2」が開催された。今度の卓球台は白。巨大な白い丸の上にテーブルを設置した。
 稲田石の卓球台のアイデアが浮かんだ。
 一台は、日本の寺院の庭にありそうな、自然石を足に使用。もう一台は、ギリシャ風なエンタシスの柱をイメージした。卓球台を制作してくれるのは、稲田石の匠、(有)アイエスの磯進さんを中心にしたチームだ。
 あっと驚く立派な卓球台が完成した。
 僕は、ストリートピンポン計画を提案して関係者に手紙を書いた。「外に卓球台が置いてある風景は気持ちがいいものです。卓球競技は、室内競技なのでフッと外で見かけることはあまりない。卓球台は多目的に利用できます。井戸端会議に本格的会議にバーベキューの料理を乗せる台に、子どもたちが工作を創ってもいいし、デザイナーはB倍サイズまで広げることが出来る。書道机にもなります。公園やお寺や神社の庭や道路の空き地にも設置してみたい。卓球台のベンツと噂されています。1000年はもつと保証つきです。買ってくださいね。」
 長期戦になるが、ストリートピンポン計画は絶対実現させたい。

Profile

浅葉克己
横浜出身。桑沢デザイン研究所、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所にて 文字設計を修業後、ライトパブリシティに入社。1975年、浅葉克 己デザイン室を設立。中国の少数民族ナシ族に伝わる象形文字・トンパ 文字への造詣が深く、トンパ文字掛軸で02年東京ADCグラ ンプリ。同年、紫綬褒章を受章。青山芸術祭第3回DESIGN AWARD審査委員長。

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