
赤レンガ浅葉克己原展の巨大な看板をリュックサックを背負って、西日に顔を赤く染めて押している浅葉克己本人の写真が気に入っている。青春時代に読んで感動したカミュのシーシュポスの神話を思い出したからだ。「神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂に達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。無益で希望のない労働ほど怖ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった」短編の書き出しの部分であるが、広告・デザインの仕事というものは、何もない空間から始まって、発想・現場・定着と続く。この定着がシーシュポスが頂上に岩を運び上げた瞬間に似ていると思っている。デザインの完成した姿だ。そして再び次の仕事の岩と対峙するのだ。
赤レンガ展を企画してくれたのは神奈川新聞社の中島小百合さんと中学校の同級生笠原英男君だ。赤レンガを訪問し石川洵館長にお会いして、快く全館を借してくれることになった。広い空間に二館が並ぶ風景は停泊する客船とマッチして港横浜の宝物のように見える。外観もすばらしいが内部はもっとすばらしい。外光が入る窓枠には思わず見とれてしまう。浅葉克己の広告・デザインの過去・現在・未来をキラキラと展覧してみたいと思った。さあ大変だ。眞木準さんが広告・デザインの未来を予測する言葉「あかるい生活」を創ってくれた。ビジョンは一九八二年に西武百貨店の広告に登場したウディ・アレンと同じ。ウディ・アレンは、初めて筆を持って、浅葉の指導でおいしい生活を直筆し、それを高々と揚げた。今回は「あかるい生活」をアサバ文字で制作し、ウディ・アレンが着た着物と同じものをIVY化粧品の川上仁さんにセッティングしてもらい、N・Yでウディ・アレンを撮影した巨匠坂田栄一郎さんに撮影してもらい、ポスターは完成した。
三つの広い部屋に40年間に制作した作品をどお展覧するかに頭を痛めた。A室は中学生の頃の日記と現在の日記、県立神奈川工業高校図案科の習作。20代から現在も作り続けている広告デザイン。50年以上続いている東京アートディレクターズクラブの評価に基づいて年代順に展示。エピソードや関連記録も出品。B室は地球最後の生きている象形文字ナシ族トンパ文字に出会って15年。中国雲南省麗江への旅は5回。その文字をデザインとして日本へ伝えた作品群。中国政府が国外持ち出しを禁止していて日本で見ることが出来ない教典も展示。C室は、地球文字探検家として、アートディレクターとして、地球の250以上の地点に立ち、さまざまな民族の持つ文字をいかにデザインに生かして来たか。東アジア漢字圈の書の持つ力が日本の未来の表現を創ると信じている浅葉克己の近作を展示。 三つの自分の倉庫を探し回ること三ヶ月。消えてしまった作品も多く、その一部500点を展示。これまでの最大の展覧会。
印刷されたポスターの額装、という大きなテーマにぶち当った。いままで見て来た展覧会のポスターで気に入った額装はひとつもない。スガアートの菅原漣さん、野田展史さんに相談していくつか見本を持って来てもらった。その中に透明なプラスチックの箱状のものがあり気に入った。高価だがこれに決めた。たれ幕。ぼくはフンドシと名付けた。フンドシの刷りをキュービックの木田俊一さん、軸装を青玄の天草仁司さんに頼んだ。これで壁面の展示はOKだ。400点のデザイン類はビニール袋を四種類作り、天上から天蚕糸でつり下げた。母港へ帰れデザインの完成だ。

浅葉克己
横浜出身。桑沢デザイン研究所、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所にて 文字設計を修業後、ライトパブリシティに入社。1975年、浅葉克 己デザイン室を設立。中国の少数民族ナシ族に伝わる象形文字・トンパ 文字への造詣が深く、トンパ文字掛軸で02年東京ADCグラ ンプリ。同年、紫綬褒章を受章。青山芸術祭第3回DESIGN AWARD審査委員長。