
大地の芸術祭のプロデューサー北川フラムさんはお会いしたのは、京都水会議のシンボルマークを国際的に公募し、その審査をたのまれて、永井一正さん、福田茂雄さん、浅葉克己の三人で選んだ時だ。帰りに第一回大地の芸術祭のぶ厚い立派な報告カタログをいただいた。新潟の地で今まで見たこともないアートシーンが展開されている。日本の原風景、田舎の自然の中に超一級の作品が置かれている。美術館で対峙する作品とは違った息づかいを感じて、北川フラムさんの想いが伝わって来た。
越後妻有アートトリエンナーレ二〇〇三。あれから三年たったのだ。十日町市、中里村、川西町、松代町、松之山町、清南町、信濃川を中心に左右に広がる村や町、そこに点在する250のアート作品郡、大地の芸術祭としか言いようがない。全作品を見た人は北川フラムさんしかいないと思う。全部を見ることは不可能だと思いながらも、全部見たい、体感したいという欲望はどこから来るのか。
ある日、北川フラムさんから電話で、オランダの有名な建築家ジョン・クルメリングさんと組んで松之山温泉の広告塔を作ってほしいと依頼された。イメージスケッチの模型の写真がとどいた。階段があり、英文でHOTSPRING、漢字で美人林と表示されている。一回見て、面白いと思った。フラムさんからは、モノクロでバウハウスの文字看板のような…というサディッションをいただいた。
未来派やダダイズムのラテン文字の欧米タイポグラフィに対抗する日本のタイポグラフィの最先端を表現せねばと念じた。世界の文字を本格的に研究して十五年。日本のタイポグラフィを極めるには書の必要性を感じ、楷書の特訓に明暮れた十年の時の流れ、浅葉克己文字が肉体を通して表われ始めた時期だった。広告塔に入る文字の原稿がとどいた。松之山温泉を中心に、美人林、大厳寺高原、夢の家、松之山温泉郷、越後松之山森の学校キョロロ、ラテン文字はHOTSPRINGだけ。記号として東巴文字の温泉、家、牛、スキー場。すべて漢字文化圏の日本文字で埋めつくすのだと心に決めた。楷書、宋朝体、明朝体、デザイン+書の文字。二千年の日本文化がこの広告塔には埋め込まれているのだ。模型をつくり、ひとつひとつの看板表現に魂を入れた。現場作業が始まった。時々写真で雪の中に置かれた巨大な東巴文字や骨組み作業の新潟、とにかく巨大なものになりそうな予感はしていた。冬はすぎ、春になり、七月二〇日のオープニングまで、長い現場作業が続いた。オープニングには新潟JAGDAのメンバーを大勢誘ってくり出した。原広司建築の十日町キナーレ。中央が大きなプールになっている正方形の建物だ。「この日を待っていたんだ」と嬉しそうな顔の新潟県知事の平山征夫さん。アートアドバイザーの中原佑介さん。プール中央の舞台に立った北川フラムさんは、「エイ、エイ、オー」と勝鬨を上げた。松代町の山奥で制作を続けているという日比野克彦を探したが見つからない。前夜は雨だったが、次の日は晴れた。一番初めに松之山町のステップインプラン、松之山温泉の広告塔の前に立ちたいと思った。幸福は突然やって来た。手前に川が流れていて、橋がある。橋の奥に高さ20メートルの巨大な広告塔。参加者からワーッと歓声が上がった。外国人アーティストグループが塔に登っている。もしやジョン・クルメリングが居るのでは…。誰かが、浅葉が川向こうで写真を撮っていると伝えてくれた。橋をグリーンとブラックのストライプの目立つシャツを着た男が走って来る。ジョンだと思った。僕も走り出し橋の上で抱き合った。二人で広告塔を指さして、「ナイス、ジョブ、ナイス、ジョブ」をくり返した。KatsumiASABAとサインした作品集もその場でいただいた。会うことを予測していたのだ。松之山温泉は魔法の里だ。

浅葉克己
横浜出身。桑沢デザイン研究所、佐藤敬之輔タイポグラフィ研究所にて 文字設計を修業後、ライトパブリシティに入社。1975年、浅葉克 己デザイン室を設立。中国の少数民族ナシ族に伝わる象形文字・トンパ 文字への造詣が深く、トンパ文字掛軸で02年東京ADCグラ ンプリ。同年、紫綬褒章を受章。青山芸術祭第3回DESIGN AWARD審査委員長。